2015年2月5日木曜日

The 10 Worst Songs of the 1980s


こんばんは、ろど☆すたです。
アメリカで歴史ある情報誌「Rolling Stone」の日本版「Rolling Stone JAPAN EDITION」がバイト先の系列企業であるセブン&アイ出版から発売されていることを知り驚きました。
そんなRolling Stoneが'11年10月に行ったReaders' Poll 、読者投票企画である"The 10 Worst Songs of the 1980s"がとても興味深く面白いものでした。

80年代の洋楽と言えばまさに名曲揃いで、日本でも数多くのシングル、アルバムが発売されています。
中では現在でもテレビ番組やCMなどに起用されている曲も多く、興味が無い人でも一度は耳にしたことがある、といった曲がたくさん存在しますね。
しかしながらヒットした反面、音楽性や内容が悪いといったところや、本人や楽曲自体に何ら問題はないものの、"最低ソング"が存在するのも事実です。
そこでRolling Stoneは読者に投票を募り、ワースト10を作成したんですね。
その中でも特に面白いと思ったものをピックアップしてみました。

10th - Never Gonna Give You Up / Rick Astley (1987)
(邦題 - ギヴ・ユー・アップ)


イギリスの歌手、リックアストリーの事実上のデビューシングルである"Never Gonna Give You Up"。
甘いマスクとは裏腹に太い声が特徴の所謂"見た目と声が違う"歌手の有名なヒットソングで、日本でもバブル全盛期のディスコブームに乗り、大ヒットを遂げました。

内容的には幼馴染(?)に愛を告白する至って普通のラブソングなんですね。
Never Gonna Give You Up ―君のことを諦めたりしないから、といったような捉えようによっては少しストーカー気質のような気もしないでもないですが。
しかしそれが原因でランキング入りというわけではありません。

アメリカ版2ちゃんねるとも言われる"4chan"という画像掲示板にて、エロ動画等のリンクに見せかけてリックアストリーのギヴ・ユー・アップの動画に誘導するという所謂釣り行為"Rickroll"が流行し、あまりにもそのイメージが強くなりすぎた事がランクインの理由のようです。
日本でいうところのバーボンハウスの動画版のようなものだとか。
もともと釣り動画に使われていたものは、車輪付きアヒルのおもちゃで"duckroll"と呼ばれていた事から"Rickroll"と名付けられたそうです。
ただ、何故この釣りが流行した当時(2007年)、ブレイクしていたわけでもないリックアストリーが使われたのかは謎ですが。
しかしこれがリックアストリーの再ブレイクの火付け役となり、自身も度々ネタにするんだとか。
まさに本人にも楽曲にも関係のない部分から最低ソングランクインを果たした曲ですね。

8th - Mickey / Toni Basil (1982)
(邦題 - ミッキー )


アメリカの歌手であり振付師のトニーバジルの大ヒット曲"Mickey"。
米ビルボードチャート1位、英シングルチャート2位とまさに大ヒットと呼べる一曲です。
後に日本でもガレッジセールのゴリが松浦ゴリエとしてカヴァーしてブームを巻き起こした曲ですが、実はトニーバジルもカヴァーだったんですね。
1979年、イギリスの音楽グループであるレイシーが発表した"キティ"と呼ばれる曲が原曲と言われています。
しかしながらこのキティはヒットしませんでした。
そこでタイトルを女性の愛称であるキティから男性の愛称であるミッキーに変え、歌詞も恋する乙女を描いたものに差し替えて、トニーバジルがカヴァーしたところ大ヒットとなりました。

このMVはトニーバジル自身が振付をし、自ら踊り、そしてビデオの制作まで担当したんだとか。
逆にそれが仇となり、またMVもあまりスタンダード化していない時代に低予算でつくられたモノが色々なところで何度も何度も流された結果、むしろイメージを悪くしてしまった結果のランクインのようです。
注目を浴びるものに一定数のアンチが存在するのは仕方のない事なんでしょうか。
またトニーバジル自身、所謂一発屋扱いされている点もランクインの理由となりそうです。

7th - Don't Worry Be Happy / Bobby McFerrin (1988)


アメリカのジャズ歌手、ボビーマクファーリンの声だけで多重録音で制作された"Don't Worry Be Happy"。
楽器を一切使用していない曲では初となる米ヒットチャート一位を記録し、なんとグラミー賞でも最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀男性ポップボーカル賞の3冠を達成するなど、世界的に認められた名曲でもあります。
JTの缶コーヒー、RootsのCMソングにも起用されていた事があり、耳にした事があるという人も非常に多いのではないでしょうか。

話が脱線してしまいますが、Rootsや桃の天然水等で有名なJTが今年7月末をめどに飲料業界から撤退する旨が発表されました。
缶コーヒー業界は、近年のコンビニコーヒーの普及により徐々に売上も落ちてきているようで、本業がタバコであるJTからすれば、ちょうどいいきっかけになったのかもしれないですね。
1988年から飲料業界に参入し、数多くのヒット商品を販売していたJT。
私個人的にはRootsの缶コーヒーは好きだっただけに非常に残念です。

さて、楽曲の方に戻りますがなぜこの曲が最低ソングに選ばれてしまったのか。
トニーバジル同様、ボビーマクファーリンにはこの曲以外にヒットソングがないという一発屋、という点が理由だそうです。
米Rolling Stoneの読者は一発屋に厳しいのだとか。
また、近年ボビーマクファーリンがこの曲を歌唱しないのもランクインの理由だと考えられそうです。

2nd - The Final Countdown / Europe (1986)
(邦題 - ファイナル・カウントダウン)


スウェーデンのヘビィメタルバンド、ヨーロッパの最大のヒットソング"The Final Countdown"。
なんと全世界でのシングル販売枚数累計780万枚、25ヶ国のチャートで1位を獲得したという、当時知らない人を探すほうが大変なんじゃないのかというレベルで売れた曲がこのファイナルカウントダウンです。
ちなみに何をカウントダウンしているのかというと、地球を離れ金星へ向かうためのカウントダウンなんですね。
わりと曲は知ってても、内容までは知らない人が多いそうな。

この大ヒット曲が最低ソング第2位に選ばれてしまった理由に、腹が立つほどに覚えやすくキャッチーなキーボード、最高にいらいらさせられるだけの曲、といったような内容があげられていました。
確かに初めてファイナルカウントダウンを聴いたとき、イントロからのキーボードのメロディーは一回にして覚えてしまうほどの強烈なインパクトだったのを覚えています。
またEuropeの前身であるForceの頃と比べて、音楽性のポップ化が著しく進みかつてのファンからは認められていない部分もあるのかもしれないですね。
現にファイナルカウントダウン前後にバンド内での脱退者が多くいたようです。

1st - We Built This City / Starship (1985)
(邦題 - シスコはロックシティ)


堂々の1位(?)はアメリカのロックバンド、スターシップの代表曲でもある"We Built This City"。
スターシップはもともとジェファーソンエアプレインというロックバンドが起源であり、後に改名したジェファーソンスターシップからさらに派生したバンドです。
というのもメンバーの入れ替わりが激しく、最終的にオリジナルメンバーであるポールカントナーと、途中から加入してきたメンバーが対立し決裂。
その結果ジェファーソンスターシップというジェファーソンエアプレインの後継に当たるバンドと、もとはジェファーソンスターシップだったもののオリジナルメンバーが一人もいなくなり、再出発をしたスターシップというバンドが現在も存在することになっています。

そのジェファーソンエアプレインというバンドは1960年代を代表するサイケデリックバンドであり、演奏力、創作力共に素晴らしく、1996年にはロックの殿堂入りを果たしているほどのバンドでした。
そんなジェファーソンエアプレインの復活かと思われたスターシップでしたが、実際は当時のオリジナルメンバーは誰一人とおらず、コンセプトも一転(スターシップ結成)当時の流行であるエレクトロポップをふんだんに取り入れた楽曲を数多くリリースしヒットした中でも最も評判の悪い曲がシスコはロックシティでした。
ジェファーソンエアプレイン時代からのファンとしてはもちろんこんなの認められない、というのもあるのでしょうが、さらにはこの曲の歌詞にも最低ソング1位に輝いてしまう理由がありました。

We built this city ―僕らがこの街をつくった
We built this city on rock and roll ―僕らがロックンロールの街をつくったんだ

かのジェファーソンエアプレインのメンバーでもなく、後発であるスターシップが一体何を言っているのだ、と。
そしてこの曲をつくったのはスターシップのメンバーですらありませんでした。
80年代の最低ソングだけでなく、アメリカの音楽雑誌「Blender」の"音楽史に残る最も酷い歌詞50"でも第1位に輝いています。
ポップで、良い意味で'80年代を代表する楽曲だと思うのですが、境遇を考えるとこのヒットを歓べないファンもいたということでしょうか。


普段よく耳にする1980年代の洋楽たちでしたが、いろいろな捉え方があるのだと非常に面白く感じました。
同じ'80年代の邦楽と洋楽を比べたときに、洋楽のクオリティの高さに毎度驚くのですが、こういった見方も良いですね。

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